京都発草木裕子のカラーセラピーRYBカラーリーディング

カラーセラピストの仕事への道筋Vol.5

カラーセラピストの仕事への道筋Vol.5

日に日にあたたかさが増してきて、春を感じる季節になりましたね。

春は、パーソナルカラーでもそうですが、明るく快活な色。イエローベース、ライト、ヴィヴィッド、どれをとってもその意味は、前向きな気持ちになれたり、未来を目指して何か行動したくなります。この時期は、その色のメッセージに身を任せてみるのもいいですね。

カラーセラピストという仕事のお話は、今回で5回目です。そろそろ私の荒波談も・・・

実はめちゃめちゃしんどい時期も

1999年からオーラライト・カラーセラピーの勉強を始めて、そのまま1年以内でティーチャーの資格取得、そしてロンドンへの研修も経験できました。そして、カラーの仕事を始められたのは、ある意味ラッキーなことでした。

でも、カラーセラピストとして活動をして、イベントでの講師や講演会もするようになって順調そうだったある日、突然人前で話すことがきなくなったのです。

ステージの上で、呼吸が浅くなり、立っているのもつらくなり、倒れてしまう前にと表面的にはサラッとまとめましたが、予定時間より早く切り上げてしまいました。自分でも何が起こったのかわからなくて、控室に行くと情けなくて、言葉にならなくて…。その後にもう一本講演があり何とかやり遂げましたが、これも予定より早くステージを降りることになってしまいました。

「プロ失格」が響き渡る

この時、参加していた知人は、私の様子がおかしいことに気付き、「体調管理もプロにとっては仕事の一環よ」と私に。悔しいけれど、その通りです。この時、確かにそれまでの無理が重なっていて、体力的にもかなりギリギリのところだったことをこの時に初めて気付いたのです。「プロ失格」この言葉が頭から離れなくなり、かなりの落ち込みでした。

ただ、この時、単に肉体疲労だったら休めば復活するはずが、精神的なダメージもあり、その後の私に大きく影響を与えることになりました。

仕事は普通にしていた、というよりできるように振る舞っていたのですが、人前で話すことが怖くなったのです。また、同じことが起こるのではないかと思うと、逃げ出したくなるのです。そして、それはだんだんと日常生活にも影響が出始めました。電車やバスに乗れない、クルマの運転ができない、人が多いところ行けない、いろんなことが重なって、解決策が見つからず初めて病院で診察を受けました。病名は、「パニック障害」でした。

なぜ私がこんなことに?

でも、診断されて病名がつくと少し楽になると言いますが、本当でしたね。薬の処方もしていただいたので、安心できる材料を持つことができました。ただ、自分にとって一番理不尽だと感じたのは、カラーセラピーを受けにいらっしゃるお客さまたち(心の病や悩みを抱えている方がたくさんいらっしゃいます)にとって、私はセラピストとして接する必要があるのに自分がこんなことでは、全然ダメじゃないかという思いです。

でも、それを思っている間はもっとダメでしたね。

悶々とした時間の中で、ここで立ち止まったらきっと二度と立ち上がれないという気持ちで進みました。かなり厳しい状態でしたが、いろいろと工夫をしながら頑張りました。

そして、あるセラピストさんと出会って、「なぜ私がこんなことになったのかわからないんです」と言うと、「きっと、これからあなたがセラピストとして活動するために必要な経験なのだと思いますよ」と言われて、不思議なぐらいすんなりと受け入れることができたのです。

ここから一転して「パニック障害」とオサラバできたわけではありませんが、大きな一歩になったのは間違いないのです。カラーセラピストとして、この経験をいかに活かすか?これは、転んでもタダでは起き上がらない精神を獲得したのかもしれませんね(笑)

と言うかなりしんどい時期のこと、あまり人に話したことないのですが…今の私があるのは、この経験の影響は大きかったと思っています。

でも、ご心配なく、もう大丈夫ですので。